品種の来歴はこちら
四月二十日浸種。四月二十七日の時点ではまだまだ発芽せず、四月二十九日まで待ってわずかに発芽が見えたから、風呂の残り湯に一晩漬けて加温し発芽させた。四月三十日に水を切って冷蔵保存。
五月九日に播種。発芽率は意外と良いが、発芽の揃いは良くない。
五月二十七日定植。生育はあまり良くない。育苗中に発芽後の苗のモミ部分をネズミにかじられたため、まともな苗はほんのわずかとなった。わずかに生き残った苗もひょろっとした感じで、植えても育つのかが不安になったから、雄町や八反流を頼む際に一応追加で種子を注文した。結果的に最初に播種した分がうまく成長してくれたので、品種特性は四月二十日播種分のデータに準拠する。もっとも、後で五月十二日に播種した分も、出穂が三日遅れたくらいであまり生育の差は出なかったが。
七月九日の時の様子。分げつが多く、勢いがある。
九月一日出穂。出穂の揃いは悪く、だらだらと穂が出続ける。
十月十五日成熟。出穂から成熟までの積算温度は818度。温度が足りず、後半はなかなか色が付かなかった。出穂は雄町1号と同程度だったが、成熟は中生曲玉の方が若干早かった。
中生、と名に着くが現代の感覚では明らかに晩生種である。ていうか、昔の人はよくこんなリスキーな品種を作ったな、と思う。邑南町のような中山間地では栽培の困難な品種だから、浜田とか益田みたいな暖かい地域で作られていた品種だったのだろうか。
茎数30本くらい。一穂粒数190粒くらい。草丈130センチくらい。穂長22センチくらい。稈長110センチくらい。
長い! 見た目の迫力はモンスター級である。茎が長くて太くて多く、穂が長いうえに粒がでかい。茎は太いわりに軟弱だから、株全体が開張した形になって、ドーン、という、迫り来るような勢いがある。一本植えのはずなのに、片手で株を掴みきれないほどのボリューム。
茎の長さに対しての粒数が多くて、ミシっとした穂である。ただし登熟率は高くない。
派手な見た目だから、観賞する分には楽しいけれど、実際に栽培するとなると苦労の多そうな品種だ。品種の来歴を調べた際「神力と福山という組み合わせには、どういう意図があったのか? 」という事が気になったのだが、実際に育ててみると、その疑問は解消されるどころかますます強くなった。
確かに、茎数と一穂粒数が多く粒重が大きければ、(きちんと登熟すれば)一株あたりの収量は増えるだろうが、それにしたってここまで極端な形にする意味はあったのか。
千粒重は28.0g、心白発現率は7%。
近所の直売所の食味計によると、水分18.5%、たんぱく質6.6%、アミロース値17.9%。
粒は大きいが、心白発現率は低い。ごく小さな腹白が散見され、精米効率が悪そう。
モミの充実が悪く、非常に脱ぷしにくい。ただでさえ完全粒が少なく、青米も多いのに、何度も籾摺り器にかけざるを得なかったため、玄米の表面が荒れてしまった。玄米の見た目は悲惨である。
収穫時の感触や玄米の見た目の酷さなどから、どれだけひどい米なんだろう、と悲観的な思いで食味計にかけたところ、案外まともな数値がでた。もちろんこの食味計の数値を鵜呑みにするべきではないとはいえ、ほぼ同条件で試験栽培を行った品種たちのタンパク率が8~10%とかいう非常識な数字になっていたことを考えると、よほど優秀に見えてくる。
登熟率や、栽培性、醸造適性に難がある。あまり使い勝手の良くない品種だとは思うが、歩留まりを気にしさえしなければ、それなりに面白い米なのかもしれない。
あえてこの米を選ぶ必然性があるのか、と問われると、なんとも言えないところだけど。