孤独の発明

主に米作りとか酒造りについて

本棚

 実家に帰省した際、昔買って倉庫にしまい込んでいた本とか、弟に貸していた本の中から、目ぼしいものを選りすぐって持って帰ってきた。

 邑南町の家の書斎に並べてみるが、入りきらない。

f:id:onansasa:20190104181511j:plain

 ぐっちゃぐちゃ。

 収集癖はないから、ほとんど中古で揃えた。内容が読めればいいので、たとえば上中下巻の分冊で、上巻がハードカバー、中巻が文庫本、下巻がソフトカバーで、それぞれ刷が違う、なんてこともよくある。そこそこ高価な専門書でも普通に風呂に入りながら読んだりするから、たぶん僕が所有する本をまとめて売ったところで、二束三文の価値しかないだろう。それでも揃えるのには、ひと財産使ったのだが。

 後で売れなくなるからもっと本を大事にしろ、などと親や兄弟にはよく言われるが、そもそも売ることを考えていないから、というかむしろ売れないようにするために無意識のうちに本を汚してしまっているのかもしれない。物への執着心は薄い方だと思うけど、どうしても本だけは売りたくないのだ。

 

 本の背表紙には記憶補助装置のような役割があると思う。眺めていると、記憶の奥底に眠っていた本の内容が頭に蘇ってくる。思い浮かばずとも、何かこの辺に並べてある本に、知りたいことが書いてあったはずだ、と自分の頭の中にあるゴミ山のような記憶を掘り返す際の、大まかな地図みたいな働きをしてくれる。

 本なんて買わずにkindleに入れとけば良いじゃないか、とか言われそうだが、電子書籍はなんか違うんだよな。

 便利で、整然としすぎている。自分が今知りたいと思っている、一つの情報を得るには早くて良いが、現実の雑に並んだ本棚の本の中から、目当ての情報を得る過程でいやおうなしに入ってくる、目的外の情報をシャットアウトしてしまうきらいがある。

 並べられた本を眺めていくうちに、本の内容が縦断的に自分の中に入ってきて、それが頭の中で縒り合されて一つになる、というような経験は、電子書籍ではありえない・・・・・・などとは言わないが、少なくとも僕にとっては現実の本棚を眺めている方がそういう現象が起こりやすく、それは読書以外で本を楽しむ一つの方法だと思っているので、たぶんこれからも紙の本を買い続けるだろうし、集めた本を売ることもないだろう。

 ただ、本棚のスペースがなくなって、本棚へ前後二重に入れたりすると、本の背表紙が見えなくなってイライラするので、並べる場所は確保しておきたい。

f:id:onansasa:20190104181548j:plain

 スライド式本棚は、奥側の本が一部見えなくなるので好きではない。あと、上に載せた本棚の重みで、スライドのレール部分が変形して、非常に動かしづらくなってしまっている。

  それにしても、まだ入居二か月なのに、ずいぶん部屋が狭くなってきた。

f:id:onansasa:20190104181615j:plain

 この壁面にはまだ少し余裕がある。

 あとは、壁面だけでなく、部屋の中央にも背の高い本棚を置くようにすれば、今の倍くらいの量までは収納できるか? 事務仕事用の机までの動線が寸断されて、部屋の使い勝手が悪くなるが・・・・・・