孤独の発明

主に米作りとか酒造りについて

曲玉

 「曲玉」

 来歴

 この品種は農林水産省の農事試験場畿内支場で、「神力」と「福山」という在来種同士を交配して作られた。当初の呼び名は「畿内中69号」。育成開始年が明治四十一年(1908年)で、配布開始年が明治四十五年(1912年)とある。

 現代の常識では、品種の育成にはおおよそ十年の期間がかかると言われる。これは、品種を交配して得られた種子を、五世代ほどは特に選抜せずに集団で育成し世代を進め(集団育種)、個体が純系に揃ったら(稲は自殖性の強い作物なので、交配後に世代が進むと、稀な他家受粉を除いて、だいたいは純系な個体に分離される)、有望な個体を選抜し、そこから系統選抜を進めていく、という手法をとっているからだ。

 だが稲の人工交配技術が開発された当初は、雑種第三世代の時点から系統選抜を始める、という手法がとられていた。育成開始年から配布までの期間が四年と短いのはそういう事だろう。

 育成の年度からすると、おそらく「曲玉」はこのとき畿内支場で稲の育種にかかわっていた、日本における稲の人工交配のパイオニア、加藤茂苞技師の手による品種だと思われる。

 当時の人工交配の基本方針として、暖地向けには多収品種の「神力」をベースに、これを早生化したり、品質を高めたり、いもち病に対する抵抗性を付加したりするために、「神力」よりも収量は劣るが何らかの特長を持つ他の在来種を交配する、というものがあった。「神力」と「福山」の交配も、その試みの一環だろう。

 

 「福山」は1852年(江戸時代の嘉永5年)因幡国の農民、田中周三郎が、「庭溜」と呼ばれていた中生の稲より選出し、1855年命名したものらしい(そういえば、出雲国で1682年に書かれた「田法記」という農書には、「庭溜りの稲」という品種が記載されていたそうだが、何か関係はあるのだろうか? さすがに二百年も年代が変われば、同じ品種が栽培されている可能性は少ないと思うが、気になるところではある。あるいは、「庭溜り」は品種名ではなく、稲の何らかの性質を言い表した用語なのか? 誰か知っている人がいたら教えてください)。

 育成されたのが鳥取なので、「福山」は山陰地方ではそれなりに広く栽培されていた品種だったのかもしれない。

 「福山」の試験栽培の記録を見ると、中晩生の極端な穂重型品種で、稈長は100センチを越える。千粒重は24g程度とやや大きく、心白発現率は高め、と書かれている。パッと見、酒造適性はありそうだけど、この当時に酒造用を意図した品種開発とかやっていたのかは不明。本当のところ、加藤茂苞技師がこの品種のどういう特性を狙って「神力」と交配を行ったのかは、今となっては推測するしかない。

 

 「神力」と「福山」の交配種である畿内中69号」を、島根県の農試が取り寄せて大正十三年(1924年)「曲玉」と命名

 取り寄せた経緯は不明だが、「福山」が元々山陰地方の在来種だったという事に、なにか関係があるのではないか、と個人的には思う。もともと「福山」という品種が山陰地方で広く愛されていた品種であったなら、「あの『福山』が、収量良くなって帰ってきましたよ! 」と言っておけば、「福山」の良さを知る農家なら喜んで栽培したがるだろうし。

 少々ややこしい話だが、三重県では一時期この畿内中69号」を「中生旭」と命名して栽培していたらしい。有名な「旭」とは何の関係のない品種な上、「曲玉」とは異名同種という事で、まぎらわしい。三重県の農試はよくも厄介な名前を付けてくれたな、と少し腹が立ったけど、まあまっとうに現代社会を生きていたらふつうは気にすることでは無いので、ここは大目に見てやろう。

 

 曲玉が県下でどの程度栽培されていたのかは、ネットではなかなか資料が見つからなくてよくわからない。県の農業試験場とかの資料をあされば出てきそうな気もするけど、さすがに一次資料まで探す気力はない。マジめんどい。

 昭和十二年度に行われた酒造原料米の調査では、二位の雄町(4500石)に次いで、三位の(4000石)となっていたから、仮に一反3石(450キロ)の収量とすれば、最低でも130ヘクタール以上は栽培されていた計算になる。

 昭和十二年(1937年)の段階では金肥(油粕や魚粉、化学肥料などの購入費量)がそれなりに普及し、食用米としては耐肥性の強い多収品種が広まっていた。日中戦争の影響は少なからずあっただろうが、肥料事情はまだ、その後のアジア太平洋戦争後期ほどどうしようもなく困窮していなかったはずだから、この曲玉のようにさほど収量のあがらない品種は、やはりほとんど酒造用として栽培されていたのではないか、と個人的には思っている(裏付けは別にとってはいない)。

 

 「曲玉」は、ジーンバンク等のデータでは稈長は90~100センチ程度で、「神力」の特性を受け継いでか、当時の品種にしてはやや穂数が多めだが穂重型である。出穂は八月終わりから九月頭あたりの晩生種だが、出穂期の早い穂を選抜して選んだ「中生曲玉」という品種もある。耐病性や耐肥性は弱い模様。

 千粒重は24グラム前後でやや大粒。心白発現率はそこそこで、心白の大きさは小さめだという。

 

 カタログスペックを見る限り、それなりに酒造りには向いてそうな気がするけど、現在この米で酒を造っている蔵はない。

 これもいかにも島根らしい素敵な名前の米だと思うが、米の名前に「曲玉」というのは少し気にかかるところではある。なんとなく、米の形が左右非対称になってたり心白がズレてたりしそうな感じがするのが嫌だ。これまたややこしい話だが、和歌山県で選抜された在来種にも、この品種とは同名異種の「曲玉」というものがあったそうだが、昔の人はその辺気にならなかったのだろうか。

 

 この品種(元々の「曲玉」ではなく、「中生曲玉」のほう)と、母親品種の「福山」に関しては、平成三十年度に試験栽培を行った。品種特性はこちら(福山中生曲玉)。