孤独の発明

主に米作りとか酒造りについて

雄町

 「雄町」

 

 来歴

 今更説明するまでもないかもしれない、言わずと知れた酒米界のビッグダディ。現代の酒米の中で、この品種の血が入っていない品種を探す方が難しいのではないだろうか(たかね錦系統と、八反の系統くらいか)。

 安政六年(1859年)、備前国の農民岸本甚造が、大山詣でに行った帰りに良さげな稲を見つけて、稲穂を二本もらって帰った。この二本の稲穂から得られた品種という事で、当初は「二本草」と名付けられたが、この品種の評判を聞きつけた周辺農家がこぞって訪れ、岡山県南部に栽培が広まっていく中で、やがて岸本甚造の住んでいた高島村雄町という地名から「雄町米」と呼ばれるようになった。

  戦前の酒米品種の代表格であり、特に吟醸酒づくりにはこれ以上のものはない、と言われていたそうな。長稈で感光性が強い晩生種であるため、栽培可能な地域は限られていたが、なんとしてでも「雄町」が欲しいという酒造家の執念から、岡山県外の各地でも栽培されるようになった。

 品種としては古く、また人気が出るのが早かったから、純系分離される以前の在来種、つまり遺伝的多様性の大きい雑多な状態で各地に広まったものと思われる。さらに、各地の農家が思い思いのやり方で選抜・育種・種どりを繰り返したため、土地毎でバラエティ豊かな変種が多数生まれた。のちに純系分離されたものには、岡山の「備前雄町」や広島の「舟木雄町」および「比婆雄町」、滋賀の「短稈渡舟6号」など。現代で「雄町」といえば、岡山県で栽培される「赤磐雄町」のことを指すが、かつては微妙に性質の異なる「雄町」があちらこちらにあった。

 余談にはなるが、遺伝的に雑多な状態というのは、異なる環境で栽培されてもある程度は対応できる適応性に富む、という事である。

 純系選抜は、特定の環境下で最大の効率を発揮させるための操作なので、逆に言うと目的とする形質(たとえば収量、大粒、米の消化性など)以外の部分は切り捨てられてしまう(暖地向けに育成する品種に耐寒性を付加するのは無駄だし、登熟率を増やすためには出穂期のばらつきはないほうが良い)。

 雄町の場合、純系選抜される以前に広まった、という事で、在来種の雄町に秘められていた多様な遺伝的特性が、導入された各地の環境に適応してさまざまに開花した。そうして適応していく過程で、もとの品種とはけっこう異なる性質を示すようになったりするわけだが。

 雄町は当時日本の植民地であった朝鮮半島でも栽培されたし、雄町の変種である渡舟はアメリカに渡って、カリフォルニア米「カルローズ」の父親品種となり、米国の稲作においても大きな役割を果たす。

 コシヒカリ山田錦インパクトには及ばないが、たぐいまれな実力を持ち、とんでもない功績を果たしていた、という点で、個人的にはなんとなく俳優の早川雪州を連想する。

 

 島根県では、酒米の奨励品種制度が始まった当初から(栽培自体はそれ以前から)栽培されており、県内では比較的気候が温暖な浜田市益田市が主産地だったようだ。

 大正12年からは、在来種の「雄町」に代わって、純系選抜によって育種された「雄町1号」「雄町2号」が奨励品種として栽培されるようになった。

 現在岡山で栽培されている育成品種「赤磐雄町」の出穂期は九月頭ごろで、収穫期は十月中下旬になるという晩生品種である。しかし、ジーンバンクで「雄町1号」のデータを見ると、出穂期がだいたい八月下旬あたりになっており、収穫時期も十月上旬と早くなっている。ジーンバンクのデータは、少数の種子を試験栽培したものなのでばらつきが大きいとはいえ、このことから「雄町1号」は在来種の「雄町」のなかで出穂期の早い品種を選抜したものなのではないかな、と(根拠はないけど)個人的には推測している。

 「雄町2号」はジーンバンクのデータを見る限り1号よりは晩生。そのためなのだろうか、島根県においては後発の「雄町2号」が「雄町1号」よりも短い期間で奨励品種登録を廃されている。

 早生の「八反流」と並んで、晩生の「雄町」は島根県酒米品種の源流の一つ。戦後は栽培の難しさと収量の少なさから栽培面積を減らし、後継の「改良雄町」に道を譲った。ちなみに、「改良雄町」の交配親に使われている品種は「比婆雄町」であり、戦前島根県で栽培されていた「雄町1号」とは多少性質が異なるのかもしれない。

 「赤磐雄町」は未だ現役で頑張っている品種だが、岡山県がほぼ百パーセント生産している。「赤磐雄町」以外でいうと、「雄町」の変種である「短稈渡舟」や「滋賀渡舟6号」を復活させて酒を造っているところもあるようだ。

 

 この品種(雄町1号)に関しては、平成三十年度に試験栽培を行った。品種特性については後述。