孤独の発明

主に米作りとか酒造りについて

帰ってきたヨッパライ。あるいは、酒米育種のこれまでとこれからの話⑧

       

 

 コンピュータソフトウェアの開発手法に「オープンソース」というものがあるらしい。これは、ソースコード(コンピュータプログラム)が公開されており、誰でも自由にそのソフトウェアの利用、修正、頒布を行うことが許可されるという、ソフトウェア開発の方法だそうだ。

 大枠のソフトウェアを基に、プログラミングできる人ならそこに好きなように機能を追加したり、変更したりすることができる。その改造版を頒布することも自由だから、例えば誰かがバグを修正したり便利な機能とかが付いた改造版を流したとすると、それをダウンロードした別の人がさらに機能を追加したり使い勝手を向上させて、また新たな改造版として頒布したりすることができる。

 この開発手法で重要なのは、ソースコードが公開されていることと、誰でも自由にそれをいじくりまわせること、そしていじくりまわしてできたものをみんなで共有できるという点にある。

 多くのプログラマーが開発に参加することで、バグの修正や機能の向上がはかどるだけではなく、もとのソフトウェアから多種多様な派生版が生まれることになる。

 この「オープンソース」の手法を、品種改良にも取り入れられないだろうか、と考えてみた。

 稲の持つDNA塩基配列は、生命のソースコードみたいなもんだろう。それによって表現されるのは、品種の遺伝的な特性である。

 例えば、ある品種をオープンソース化したとしよう。その品種を使ったり、品種改良したり、種子を増やして頒布したりすることは自由である。やりたければその品種の背の高さを低くするのも自由だし、収穫時期を一週間早めるのも自由だ。好きなように品種を改良して、よくできたと思うものをみんなと共有したければ頒布すればよい。すべての品種改良の試みが必ずしもうまくいくとは限らないが、多くの試行の中どこかで成功例が出れば、それを元にしてさらに発展させることもできる。

 多くの育種者が関わることで、品種の欠点は改善される可能性が高くなるだろう。そして現行の育種方法と違って、一つの種から多種多様な特徴を持つ多くの改良種が生まれるであろう点に、この育種方法の特徴がある。

 育種が通常のコンピュータプログラムと大きく異なるのは、稲のソースコード(遺伝子)をいじくるには長い時間がかかる点で、たとえば交配した種が実用されるようになるまでにはふつう十世代が必要である。それから、品種改良によって生まれた種子が、突然変異とか自然交雑によって変質してしまう危険性もある。ただこれらの違いは、理屈の上では、オープンソースの原理を導入する妨げにはならない、と思う。たぶん。いや、おそらく……

 

 まあ、「オープンソース」などと目新しい言葉を使っては見たが、何のことはない。上記のようなやり方は、明治以前に各地の篤農家がやっていた品種改良方法と基本的には変わらない。

 ただ、かつてのように収量最優先ではなく、米に求められる性質が多様化している現代において、個人レベルで多くの人が参加する育種法には、昔とはまた違った意義があるのではないかと思う。

 今の世の中は昔よりも格段に便利になって、情報交換も簡単になっているし、品種改良や栽培に関する知識も蓄積されているので、昔の人にはやりたくてもできなかった事が今ならできるはずだ。少なくとも、やってはいけないという理由はどこにもないし、誰にも文句を言われる筋合いはない。

 

 国や県の農事試験場ではなく、個人が新たな稲品種を開発する際に、ネックになることはたくさんあるが、大きな問題としては、まず育種を行う技術的な難しさ、それから販売先が限られる、という二点にあると思う。

 市場で販売することを考えるなら、品種はあまり多すぎないほうが都合が良い。

 新しい品種やマイナー品種を市場で売る際には、それが一体どのような性質のものなのか、説明するのにまず苦労する。買い手にとっては今まで見たことのないものだから、「この品種はこんな特徴がありますよ」と説明しても、実際買って試してもらわなければなかなか納得してもらえない。良いものなのか悪いものなのかという以前に、商品そのものの性質が周知されてなければ、市場ではまともに相手にしてもらえない。

 現代で米の産地や品種が重視されるのは、それらがある程度米の性質(結果)を保証しているからだ。市場にはたとえば「兵庫県山田錦にはこういう性質がありますよ」という共通認識があり、生産者もその認識から外れないようにするために努力している。

 米に限らず、ブランド農産物には、昔から継続して出荷があり、ある程度以上の生産量が安定的に出回っており、作物の質を維持する仕組みが整っている、といった要件が不可欠だ。それが良いものだということが、あらかじめ買い手にも分かっているからこそ、他のものより高い金を払ってでも買おう、という気になる。数が少なくてただ珍しいだけの品は物好きにしか買われない。生産量の大小ではなく、生産量よりも需要が大きい、という希少性こそがブランドである。

 市場では、多数の生産者が出荷した大量の作物に、多数の買い手が値段をつける。買い手がすべての商品の実質を把握することは難しいため、どうしてもブランド、またブランドとまでは言わなくても、評価の定まったものに人気が集まる。山田錦の栽培面積が各地で年々増加しているのもそういった理由からだろう。山田錦=良い米だ、という一応の認識はあるだろうから。

 だが、産地や品種は本来、その米の性質そのものではないわけで、そこを見とけばわざわざ米袋を開けて確認しなくても、中身の質をある程度推測できるというレッテルにすぎない。レッテルの信頼度を高めるための努力は、結果的に中身の質を高めることにもつながるから悪くないけど、中身よりもレッテルばかり気にしてしまうのは、本末転倒だ。

 オープンソース的な育種法で生まれるであろう多種多様な品種は、おそらく市場での流通には向いていない。多様性こそが持ち味なので、個々の品種に対する共通認識など市場では得られるはずはなく、レッテルのつけようがないからだ。一点ものを評価してもらうためには、レッテルではなく中身をいちいち、実際に確認してもらう必要がある。だから、消費者である酒蔵と直接取引する、契約栽培のような取引を行わない限りこれは、あまり意味はない方法であるだろう。

 

 オープンソース的な育種法として、まったくの夢想なのだが、こういう感じでできたら良いな、という具体的なやり方を考えてみた。

 まず育種を統括する組織(民間でも公的な機関でも何でもいいが)は、利用者の希望を受けて所有している品種の原原種(種もみを生産するためのもとになる種子のことを原種といい、その原種を生産するためのおおもとの種子を原原種という。原原種が変質すると品種が根幹から変わってしまうので、これの管理は個人レベルではなく、しっかりした技術を持つ組織に管理される必要があるだろう)を配布する。原原種の値段は、種の生産に必要な実費程度で、極力安く提供する。

 利用者はその原原種を栽培して増やし原種の種もみを作るか、あるいは品種改良の素材として育成する(育種を統括する組織が、育種希望者の注文を受けて、組織が管理している品種同士の人工交配を行い、交配した雑種第一世代の種子を、育種者に提供するところくらいまではやってもいいと思う)。

 種子を提供された育種者は、それぞれの好みと考え方に従って育種を進めていく。納得がいく新品種がつくれたら、その品種の特徴などを明記したうえで、いくらかの種もみを育成者種子として統括組織に送付する(これは育種者が育成した種子が、圃場で栽培しているうちに変質してしまった場合のバックアップとしての役割も果たす)。統括組織は受け取った種子を試験栽培して、育成者の申告する特徴と合致するかを確認し、問題がなければ新品種として受け入れる。

 そのようにして育成された品種の性質は誰にでも閲覧できるようにする。利用者はその中で「良いな」と思うものがあれば、統括組織に配布を希望すればよい。統括組織は求めに応じて育成者種子を増やして原原種を作り希望者に配布する。種子を受け取った利用者はその原原種から種もみを作って米を生産してもよいし、さらに改良を行って新たな品種を作ってもよいだろう。

 品種の保管(と交配)は統括組織が行うが、品種改良の実践および育種の方向性については関与しない。組織を利用する育種者の判断によって育種が行われ、出来上がった品種は原則すべての人が利用できるようにする。開かれた育種法である。

 

 もし、このような組織を作るのであれば、石垣島あたりに本拠地を置くのが良いのではないか。石垣島は海はきれいだし、空が澄んで星もよく見える。自然がすばらしく豊富で、島田紳助だって潜伏している。そしてなにより冬でも暖かいのが良い。かつて平成五年の大冷害の影響で、岩手県で次の年に使う種もみが不足した時、石垣島に種子を送って平成六年の一月中に田植えを行い、五月に収穫された稲の種子を、その年の種もみとして使用した、という逸話がある。

 その例に倣って、利用者から配布希望の緊急要請があれば、その種子を冬の間に栽培して生産しておけばよい。そうすれば注文を受けた次の年のうちには栽培が可能になる(感光性とか種子の休眠性の問題はあるだろうが、少量の原原種を生産するだけであればビニールハウスなどの施設栽培でなんとかなるのではないか)。

 また、交配した育成途中の種子を、南西諸島に持って行って冬場にも栽培することで、一年で二世代を経過させることができる。通常交配種の育成には十年かかるといわれるが、この方法(シャトル育種法と呼ばれる)を使う事で半分の五年で育成が可能になってくるかもしれない。

 

 統括組織の性質上、種子の販売ではほとんど儲けは出ないとしても、人工交配を代行する対価としていくらか金をとったり、冬季に南西諸島で行う育成種子の世代促進を事業にして金をとったりすれば、やりようによってはそれなりに利益も出るんじゃないかと思う。

 育成者にしてもただの慈善行為で育種を行うのではなく、たとえばある農家がどこかの酒蔵から「こういう品種が欲しい」という要請を受けて、経費に加えていくらかの報酬をもらったうえで育種を行う、というような形にすれば、育種と種もみの生産で食っていく農家、という新たな農業のスタイルも生まれるかもしれない(これはむしろ、蔵人の夏場の仕事にぴったりかも)。

 育成された種子が安い値段で誰にでも手に入れられるのならば、わざわざ金をかけて新しい品種を開発するなんて馬鹿らしい、と思う人もいるかもしれない。それは確かにその通りだけど、自分の農業(あるいは酒造り)にあわせて適切な育種を行えば、生産される米の質は間違いなく向上するはずだし、そうして生まれた「自分の蔵に最適化した独自の品種」というキャッチフレーズは、地元に根差して地酒を作る酒蔵にとってはけっこう魅力的なものではありませんか?

 理想を言えば、すべての人が誠意と熱意と公共心をもって育種に参加してくれることが望ましいが、まあ、欲が絡んでいたとしても結果的に自由な育種が行われるような枠組みになっていて、そこから好ましい品種が生まれるなら別にそれはそれでいいんじゃないだろうか? 現実社会は必ずしもゼロサムゲームじゃないから、他者の利益がすなわち自分の損害につながるとは限らない。他者の利益が自分の利益にもつながる場合もあるのなら、わざわざ無駄な労力を使ってまで他人の足を引っ張る必要は無いだろう。自分の利益のために戦略的に他者にやさしくできる世の中のほうが、生きてて楽だとおもいます。

 本家「オープンソース」でも、ソフトウェアを利用する際にはいくつかのルールがある。だいたいはその決まり事を流用して、他人が育成した品種を使う際にはどこかにその旨を書いておくとか、この手法で開発された品種を使って勝手に金儲けをしないとか、そういう最低限のルールを決めておけば、それなりにうまくいくような気がする。

 けっこう悪くないアイディアだと思うんだけど、誰かベンチャー企業でも立ち上げてやってくれないかな。儲かるか儲からんかは知らないが。

 

 現代のプロの育種家は自分のために品種を開発しているわけではなく、農家や醸造家の求めに従って育種を行う。

 育種家が鍵を探し求める暗い夜道で、足元を照らしてる街灯の光とは、実は農家や醸造家が放っているものなのだ。街灯は夜道のあちらこちらにあり、それぞれ異なった地面を照らしているが、自分の照らしている足元に育種家がやってきてくれるとは限らない。多くの人が向けている光(性質)には、育種家も注意を払う可能性が高くても、少し離れたところにぽつんと立っている万人受けしなさそうな街灯の下を探す人の数は少ない。

 いっそのこと、酔っぱらった育種家の大群が、暗い夜道で鍵を探している光景を想像してみたらどうだろうか。酔っ払いはほとんど無目的に街灯の下を這いずり回り、他の酔っ払いと頭をぶつけたり絡み合ったりしながら、鍵を探し回るのである。きっと多くの鍵が見つかることだろう。その中で本当に使えるものの数は少ないかもしれないが、求められているものはきっと誰かが見つけているはずだ。

 無数にうごめく酔っ払いの背中を踏み越えて、無事家まで帰り着くやつだって、一人や二人くらい出てくるかもしれない。

 

 ―――ある寒い日、暗い夜道を歩いていると、街灯の下で腹ばいになって何かを探している無数の酔っ払いたちの群れに出くわす。

 何を探しているのか、と尋ねるまでもなく、酔っ払いたちは、家の鍵がどこを探しても見つからないと口々につぶやいている。

 とても寒い夜である。家の中に入れなければこの酔っぱらいたちは凍えてしまうかもしれない。気の毒に思って、手を貸してやろうと考えた矢先に、一人の酔っ払いが「鍵を見つけた! 」と大きな声で叫ぶ。

 こちらが呆然と見守っているのを尻目に、その声を聞いたほかの酔っ払いたちは、鍵を見つけた酔っ払いについて従って、どこかの家の中へとぞろぞろ消えていく。

 明日の朝、彼らがどのような状態で目覚めるかは知る由もない。どうやら、凍え死ぬことだけは、なさそうであるが。