孤独の発明

主に米作りとか酒造りについて

酒米は本当に不味いのか

 江戸時代末から明治時代中期ごろにかけて、近畿地方を中心に大粒の中生種(現代の基準では晩生種)が流行した。それらの品種は、当時の肥料事情、農家を取り巻く環境に適応した性質を持っており、その性質の多くは偶然にも酒造原料として有用なものだった。その後、早生小粒の多収性品種が普及するとともに、大粒中生品種は姿を消したが、一部は酒造用米として命をつないだり、酒造好適米を育成する際の交配親として用いられることになった。

 

 つまり元々「雄町」などは、普通に炊いて食べるために栽培されていたのである。

 おそらく、酒造にかかわっている人の間には、「酒米はおいしくない」という共通認識があると思うから、「雄町」やら「山田穂」やらを食べるというと、何となく奇妙な感じがするかもしれない。しかし、個人的な意見を言わせてもらうと、酒米は決して不味いものではない。自分のところの田んぼで栽培した酒米の半端を取っておいて、普通に炊いて食べるのが僕のひそかな趣味なので、この点に関してはわりと自信を持って言える。

 甑で蒸しあがった米を口に入れてみると、たしかに「パサパサしててうまいもんじゃないな」と思う。

 米に含まれるデンプンにはアミペクチンアミロースの二種があり、もち米の場合はアミペクチン100%のためもちもちねばねばしているが、うるち米アミロースを10~20%持っているので、もち米よりはサバケが良い。酒米はサバケが大事だから、アミロースの値がコシヒカリ等よりは高い傾向にある。

 米の食味を評価するうえで、アミロースの値は重要な項目とされていて、この値が高いほどパサパサした感じが強くなり、一般的な官能評価では味の評価も低くなる。

 しかし、甑で蒸しあがった米の水分量は、吸水前の米重量に対してせいぜい35~45パーセントくらいのものだろう。一方で、普通にご飯を炊く際には、米の量に対して120パーセント前後の水を入れる(米一合=150gに対し、216gの水)。すべての水が吸収されるわけではないにしろ、仕込みの際に使われる蒸米とはそもそも水の量が全然違う(実際、コシヒカリだって甑で蒸かしたものは大してうまいもんじゃない)。

 酒米を普通に炊いて食べる際には、水加減に少し注意がいる。酒米は普通の米よりも粒が大きいので、同じ一合の計量カップを使っても、微妙に重量が少なくなってくる。そのため、普通にコシヒカリと同じ水加減で炊くと、少し水の量が多くなってしまう。そして酒米は心白の部分が吸水しやすい上にもろいので、水を入れすぎるとねちょっとした感じになりやすい。逆に水が少なすぎるとアミロース値が高いこともあり、さばけの良すぎるパサパサの米になる。コシヒカリの場合には多少水加減が違ってもそこそこおいしく食べられるのが、酒米の場合には少しでも間違えると急に不味くなる。酒造りの際には逆に、酒造好適米の場合は多少水加減が違っても(コシヒカリよりは)影響は出にくいが、コシヒカリの水加減を間違えると大変なことになるので、やはり酒造りには酒米、食べる米にはコシヒカリを使っておくほうが理にかなっているんだろうな、とは思うけれど、それはそれとして、別に酒米は食べられないほど不味いって程ではない。

 好奇心から酒造好適米を炊いて食べてみる、という事はあったとしても、わざわざ常食しようとか考える酔狂な人間はいないだろうから、試しに一度炊いてみて、案の定うまく炊けなかったから「あ、やっぱ酒米って不味いんだな」という所でやめてしまっているからではないか。

 大体の場合、水加減の失敗が酒米をまずいと感じる原因だと思う。アミロース値とたんぱく質の少なさも味に影響を与えてはいるが、上手に炊けた米なら「これはこういうもんだ」と思えば、普通においしく頂ける範疇だと、思います。個人的には。

 

 どこまで根拠のある話なのかは知らないが、昔から「関東人は濃い味のおかずを好むから、米自体に味があって粘り気のある硬質の米が人気。一方関西人はあっさりしたおかずを好むから、淡白でさっぱりした軟質の米のほうが人気がある」と言われているそうで、品種の歴史などを見てみると、実際そのような傾向はあるという。雄町のような大粒品種が流行した近畿地方は、まさに関西の薄味文化圏にあるようなので、そういう歴史的な嗜好の違いもあるのかもしれない。

 また、電気釜などなかった時代には、釜で炊いたお米を保温しておくすべがなかった、という事にも注目したい。炊きあがった米は、おひつにとることである程度の温度・水分は保たれ、デンプンのベータ化が多少は抑えられたかもしれないが、炊きあがった後時間がたつと米の老化は避けられなかっただろう。炊飯器に保温機能のある現代では、そこまでメリットがあるようには思えないかもしれないが、酒米の持つ老化が遅いという性質は、当時の人たちにとっては結構重大な要素だったのではないか。

 あと、米粒が大きいほうが炊きあがった時に釜増えが大きい。実質量には差がないとしても、より多くの米が食べられて得な気がするから、この点は大粒米のちょっとした長所なのではないだろうか。

 米が釜の中で水を吸い膨張する際に、膨らんだ米粒同士が押し合うので、押しのけられた米粒によって炊きあがりの釜の表面はボコボコになる。上手にたけた米のことを、よく「米が立つ」と表現したりするが、大粒の米は釜の中でよく膨らむので、見事に立った炊きあがりになりやすい。僕が初めて酒米を作った年に、改良雄町の炊きあがりを見てちょっと感動したことがあった。味の方は……まあ、こんなもんだよね、という程度でしたが。

 

 ご飯の味は、意外とみんな(もちろん僕も含めて)わかっているようでわからないものだと思う。古い話になるが、コシヒカリの偽造米が多く出回って問題になっていたころ、「米の味をブラインド・テストで食べ比べてみる」という実験をした人がいる。五種類の米を食べ比べてみて、どれがコシヒカリなのかを当てる、という内容で五十人ほどが実験に参加したそうだが、正解率は二十五パーセント程度だったという。あてずっぽうに選んでも二十パーセント程度は正解するはずだから、実際にはコシヒカリを判別できた人はほとんどいなかった、という事になる。

 多くの消費者は「コシヒカリはほかの米よりおいしい」と区別できる(と思い込んでいる)から、高い金を払ってコシヒカリを買っていたはずだ。しかし、最近の米はコシヒカリの血を引いているものがほとんどなので、ブラインド・テストで判別することは難しい。こうなるとみんな本当に違いが分かっているのか、前情報とか先入観のみでおいしさを感じていただけではないのか、と疑問に思わざるをえない。

 「酒米はまずい」という先入観がまずあり、さらに普段食べている米とは明らかに異なる食感から、反射的に「不味い」と思ってしまっていることがほとんどで、じっくり味わってみると、コシヒカリとまた違ったおいしさもあるはずだと、僕は思う。ネットで調べていると「酒米品種山田錦の炊飯特性」という論文が見つかった。これには結論として「官能評価結果より,山田錦は,コシヒカリと同程度の良食味性を有することが明らかとなった。」とまで書かれていた。いや、マジで。

 酒米は決して不味いものではない、と声を大にして言いたいのだ。まあ、確かに、普通に食ってみれば、コシヒカリのほうがおいしいと感じる人の方が多いとは思うけど、あまり不味い、不味いと言ってやるのは気の毒だ。昔の人だって、そんなつもりで作っていたわけではないだろうし。
 これはこういう米だ、と理解した上で、米なりの炊き方、食べ方(酒米はカレーとかチャーハンとかに使うとおいしい)を工夫すれば、ちゃんとおいしく食べられるはず。

 まあ収量が少なくて作りにくい酒米を、わざわざそこまでして食べる意味も無いと思うけど。