孤独の発明

主に米作りとか酒造りについて

改良八反流

 「改良八反流」

 

 来歴

 「改良雄町」と同じく昭和三十五年に配布開始。育種を行ったのは島根県農業試験場(「改良雄町」の育種を行ったのは、農業試験場赤名分場で、「改良八反流」は本場の方で育種された)。

 「八反流2号」と「農林44号(山陰34号)」の交配種である。「農林44号」は「農林8号」と「農林6号」を掛け合わせた品種で……と書いていて気づいたのだが、「農林8号」と「農林6号」の交配種という事は、「近畿33号」の親の組み合わせと全く同じだ。つまり、「改良雄町」の母親である「近畿33号」と、「改良八反流」の母親である「農林44号」は、親を同じくする品種という事になる。

 

 「農林〇号」とか「近畿〇号」とか似たような名前ばかりが並んでいてややこしくなってきたので、ここでひとまず昭和初期~戦前に行われていた交配育種システムについて、軽く整理しておこう。

 まず、農林省直下の農事試験場がある。その傘下に全国を気候や土質等により八つに大きく区分して、それぞれを担当する指定試験地というものが存在した。

 人工交配の操作そのものは、農林省直下の農事試験場が一括して行う。ただ、地域や気象条件によって必要とされてくる稲の性質は異なるので、中央の農事試験場が交配した物が本当に栽培現場のニーズにこたえられるとは限らない。そのため、農事試験場が交配を行い雑種第三世代まで育成した種子を、各地方の指定試験地に持っていき、実際にそこで育成してみて、その地方に適応する品種なのかどうかを確認する、という方法がとられていた。

 指定試験地に送られた種子には地方番号(たとえば、近畿の試験地なら近畿〇号、山陰の試験地なら山陰〇号など)が与えられ、栽培試験が行われる。そして、指定試験地でその品種が優良であることが確認されたら、農事試験場に戻され、品種登録され晴れて農林番号を与えられる、というシステムになっていた。

 農林番号を与えられた品種はいわばメジャーデビューであり全国的に配布されるが、メジャーではないけれど、地方独自の気象や環境に適した品種の場合、農林番号は与えられないが地方番号のまま普及する、という事もあった。「近畿33号」はまさにその好例であって、弟品種の「近畿34号」が「農林22号」に、「近畿35号」が「農林23号」へと採用されてメジャーで華々しく活躍する陰で、一種だけ農林番号を与えられることはなかった。しかしそれまでの品種よりも味が良く、栽培もしやすいという事で、山陰地方の農民たちからは愛されて、地道に栽培面積を広げた。

 

 「近畿33号」の場合すこし話がややこしくなるのだが、交配時には親の「近畿15号(のちの農林8号)」と「近畿9号(のちの農林6号)」にはまだ農林番号が与えられていなかった。この交配が行われた二年後に、「近畿15号」には「農林8号」の名を与えられ、「近畿9号」は「農林6号」へと名が変わるのである。

 「農林44号(山陰34号)」は、親の品種が農林登録された一年後に交配されたので、「農林8号」と「農林6号」の交配種、という事になっている。交配によって生まれた種子は、出雲にあった山陰地方の指定試験地で「山陰34号」という名を与えられて育成され、優秀な性質を見せたので中央の農事試験場で「農林44号」という農林番号を与えられることになった。

 一つの交配から複数の品種が生み出される場合、それらは兄弟品種と呼ばれるらしい(例えば「近畿33号」「近畿34号(のち農林22号)」「近畿35号(のち農林23号)」は兄弟品種)。

 「近畿33号」と「農林44号(山陰34号)」は親は同じだが、別の交配によって生まれ育成地も異なる品種なので、正しい意味では兄弟品種とは言えないかもしれないが、まあ大まかにいうと兄弟みたいなものだろう。

 親が同じ交配組み合わせでも、どのような目的で育種するかによって、生み出される品種の性質は異なってくる。調べると「近畿33号」の場合、短稈穂数型で病虫害に強く、良質多収の早生品種、という育種目標が掲げられている。一方、「農林44号(山陰34号)」の場合は、病害虫に特に強く、また冷害にも強い、稈長は中くらいで穂数がやや多めの良質中生品種、という事になっている。

 「改良八反流」のデータを見ると、稈長は100センチを超え戦後の品種にしてはやけに長い。出穂期は八月上旬~中旬で早生。「八反流」と同等かやや遅いくらいか?

 千粒重は26グラム程度で「八反流」よりは大きく、心白の揃いは良いという。

 僕の勝手な想像ではあるが、「改良雄町」の場合「雄町」の醸造適性を残したまま早生短稈化を図ったように見えるが、「改良八反流」の場合は交配によって「八反流」の醸造適性そのものを改善しようとしたのかな? という風に見える。その目的の違いが、交配相手の違いだったのかもしれない(これは何の根拠もない憶測である)。

 ただ調べてみてもネットではあまり詳しいデータが出てこない。小粒で、かたく溶けにくい、という評価は聞くが、現物を触ったことがないので何とも言えない。島根県内ではいまだに栽培されているそうなので、機会があれば栽培農家さんや、この米で酒を造っている蔵の人にでも話を聞いて調べてみたいと思う。