孤独の発明

主に米作りとか酒造りについて

※亀ノ尾

 「亀の尾」

 

 かつて「亀ノ尾」が酒造用として島根県で広く栽培されていたという事実はない。そのもっとも大きな理由は、「雄町」を導入できたからではないか。

 稲は短日植物といって、夏至からどんどん日長が短くなり、一定以下の日長時間(品種によって異なる)になると「そろそろ穂を出す準備せなあかんな」と判断する。しかし、緯度の高い場所ほど夏至の日長は長くなるわけだから、一定以下の日長時間になる=稲が出穂の時期を判断するのが遅くなる。そのうえ北の地方は南より寒くなるのは早いこともあわさって、穂が出るのが遅れる上に冬が来るのは早いという、元々暖かい地域で生まれた稲にとっては嫌がらせのような環境である。だから雄町のような感光性の強い晩稲の品種は、東北では栽培できないようになっている。

 そのため、東北の稲の品種は、日長によって出穂の時期を判断する感光性ではなく、気温によって出穂時期を判断する感温性の性質が強い品種が栽培されている(感光性、感温性の仕組みは、厳密にいうとかなりややこしい話なので割愛。以上はざっくりした説明です)。

 島根はわりと寒い地域であるが、東北のように緯度が高いわけではないので、多少無理すれば雄町を栽培できないこともなかったようだ。

 

 醸造用以外の、味の良い食用米としては「旭」の存在があったし、戦前~戦後にかけては「近畿33号」などが幅を利かせていた。その後は「コシヒカリ」がやってきて、「亀の尾」が入り込む余地はなかったのではないかと思う。仮にあったとしてもせいぜい試験栽培とか、亀の尾に興味を持った酒蔵が地元の農家と契約して栽培してもらって

いる、みたいな例に限られるだろう。

 「夏子の酒」で「亀の尾」の知名度が上がり、また何故か最近になってあちらこちらで「亀の尾」を使う蔵が急に増えてきたから、なんか流行ってんのかな? という感はある。

 さほど島根と縁のある品種だとは思わないが、流行りものなら乗っておいて損はない気もするので、下心で調べてみた。

 

 来歴

 

 明治以降、縦型精米機の普及によって高度精米が可能になり、また酒造技術が科学的に解明されることによって腐造が減り、日本酒の品質も大きく向上した。

 日本酒の製造技術を研鑽するために、管轄省庁である国税庁が主催した全国規模の品評会が開かれるようになって、各地の酒蔵がそこでしのぎを削った。だいたい1920~30年前後が戦前の吟醸全盛期と言われていた頃だそうで、当時の吟醸造りに欠かせなかった米が西の「雄町」、そして東の「亀の尾」である。

 

 「亀の尾」は、耐冷性の強い品種を求めた阿部亀治によって育成された。

 亀治の父が知人と話している時に、

「昔『惣兵衛早生』という品種は、冷たい山水がかかる田んぼでもよく生育するので『冷立稲』などと呼ばれた良い品種だったのに、種がボケて(※)最近では倒れたり節が折れたりして散々な稲になってしまった。今年もどうやら出来は良くないようだ」

 (※稲は基本的には自殖性の植物であるが、1%程度の確率で他家受粉も行っているし、突然変異によって性質が変わることもある。だから種どりのやり方が適切でなければ、変異した種子が広まってしまい、元々持っていた性質が劣化する。このような現象を「種がボケる」という)

 という話題が出た。 父親たちの話を脇で聞いていた亀治は「冷水のかかる水口でもよく育った」という部分に興味を持ち、実際に「惣兵衛早生」を栽培している地区を訪ねた。

 話の通り、その地区の田んぼの出来は良くなく、多くの稲は倒れていた。しかし、ある田の中で三本だけ黄色く登熟している穂を見つけたので、ちょうどその近くで働いていた田の持ち主に交渉して、その三本の穂をもらって帰った。明治二十六年九月二十九日のことである。

 あくる年に、三本の穂から得たモミを栽培してみたが、伸びすぎて倒伏してしまい良い結果は得られなかった。その次の年も同じような結果に終わった。

 明治二十九年には、この稲の持つ耐冷性を生かそうと思い立ち、実際冷水のあたる水口で栽培してみたところ、よさそうな穂が一本見つかったので、それを元に選抜を重ね「亀の尾」という品種を育成した。

 「亀の尾」は食味が良く、醸造適性も高いという事で評判が良かった。良食味性は「コシヒカリ」や「ササニシキ」などに引き継がれ、醸造適性は「美山錦」「改良信交」「五百万石」などへ伝わり、東北・北陸地方酒造好適米の祖にもなった。

 

 亀治が亀の尾を発見したのは、ちょうど「乾田馬耕」という技術が広められているさなかだった。「乾田馬耕」とは、田の排水性を良くし(乾田化)、馬犂を用いて深耕(馬耕)する技術である。

 明治時代初期までの田んぼは、一年中水を湛えた湿田がほとんどだったらしい。人力によって田んぼを耕うんする際には、土が水を含んで柔らかくなっていなければ大変だったからだという。ただ湿田のように、田に常に水がある状態だと、有機物の分解が起こりにくいという問題点がある。有機物の分解にかかわる微生物の多くは好気性だからだ。農民たちが集めてきて田に投入した落ち葉や刈草などは、長い年月の間分解されることはなく、苦労して入れたわずかばかりの窒素分も、有効化して稲に利用されるより田に蓄積される量が多かった。

 田の排水性を良くし、畜力を借りて深く耕す事で、田んぼの土に酸素がいきわたるようになる。そうすると、今まで蓄積されていた窒素分が好気性の微生物によって分解され、稲が利用できる形になって放出されるようになる(乾土効果)。

 このことに加え、東北地方でも金肥の利用が広まり始めていたので、省エネ型の在来種に変わって耐肥性の強い品種の必要性が増していた。亀の尾はそれまでの在来種よりも耐肥性が強く収量も多かった上に、耐冷性も強くおまけに味までよいという品種だったので、東北地方で一世を風靡した。

 亀の尾は早生(当時としては。現代の品種の中では中生)の割に収量がとれる、というのも画期的だった。早生品種は栄養成長の期間が短くなるので、その点で晩生品種に比べると不利である。ただし、金肥や乾田馬耕で有効化した窒素によって、短い栄養成長期間でも体づくりを行えるようになると、早生品種でも十分な収量を得られるようになってくる。

 出穂期が早くなることで冷害へのリスクも減ること、さらに元々持っていた耐冷性も加わって、亀の尾は寒冷地であっても比較的安定した収量を上げうる品種であった。

 

 ジーンバンクのデータによると、稈長は95~100センチ程度で穂重型。出穂時期は八月上旬で、現代の基準からすると中生種にあたるが、当時としては早生の部類だった。

 玄米の千粒重については22グラム程度と小さく、心白のほとんどない。アミロースの値は20パーセントとけっこう高い。コシヒカリの先祖だから、もっと粘ってそうなイメージを持っていたのだが。「亀の尾」には酒造用として好まれた、とか、すし職人が好んで使った、などというエピソードもあるので、さばけはけっこう良かったのだろう。

 亀の尾の醸造適性に関してはさまざまな所で語られているので、実際に触ったこともない僕が憶測で書くことは控えるが、総じて「小粒で、硬くて、溶けにくい」みたいな評価だったと思う。

 

 「亀の尾」も「雄町」と同じく、遺伝的に雑多な在来種の段階で広まったので、地方によって姿かたち性質のことなる変種のようなものがいくつもある。

 その後、東北六県において、各県下で栽培されていたものの中から、それぞれ別個に純系分離がおこなわれ、奨励品種として採用される。

 本来の「亀の尾」にはノゲ(モミの先端に生える短いとげのようなもの)がなかったが、広まっていくうちにノゲのある変種が生まれた。

 「亀の尾っていう名前だけど、丸いモミにぴょっとノゲの飛び出ているこの姿は、いかにも亀っぽく見えるし、こっちが正しいんだろうな」というまぎらわしい誤解もあってか、むしろ現代では「ノゲの有る姿こそが亀の尾」みたいな風潮になってしまったことは、一部の稲マニアの間では良く知られた話である。

 現在栽培されて使用されている「亀の尾」が、いったいどこから引っ張り出してきて、どのような選抜や種どりを経て、種になっているのかは、よくわからない。雑多な在来種の場合もあるだろうし、東北六県で育成されたうちのどれか、ということもあるだろう。

 僕はなんとなく在来種の亀ノ尾を栽培してみた。カタログに載っていた品種名が「元祖亀ノ尾」とあって、カッコ良かったからである。

 

 この品種(元祖亀の尾)に関しては、平成三十年度に試験栽培を行った。品種特性に関しては後述。

 

 余談ではあるが、ジーンバンクに保管されている種子は、研究用に提供されるものなので、基本的には商売に使えない。

 僕は今年九種類の米を試験栽培したから、合計20キロ~くらいの米は取れそうなのだが、特性データを調べるための少量のサンプルをとってしまうと、あとの米は食べるくらいしか使い道がない。

 自分のところで栽培した酒米を、敢えて普通に炊いて食べてみる、というのは僕のちょっとした趣味なので、別に酒米を食べること自体には問題はないのだが、何となくもったいない気もする。

 それで、

 「どうせ食べるのであれば、おいしい米を作ってみてはどうだろう? 」

 と思いついた。品種改良してボンガボンガ売り出す、みたいなことをやろうとすれば、様々な規制や担当官庁への申告、許可、それに伴うなんたらかんたらで、怒涛のお役所仕事が行く手を阻むが、自家消費することだけを考えるのであれば、その辺はフリーである(厳密にいうと良くないことかもしれないが、その辺に関して注意されることはまずないだろう)。

 普通の品種改良の際には、食味だけではなく収量や耐病性、その品種がどれくらいの面積で栽培される普及見込みなのか、とか採種の体制をどう整えるんだ、みたいなややこしい話が出てくるが、自分で食べることだけを考えるなら、そんな煩わしい話は無視して、味だけを追求する米を作ったって、誰にも文句は言われない。いや言わせない。

 じゃあ、おいしい米を作るためにはどうすればよいのか、と考えてみて、「戦前に東の亀の尾、西の旭と並び称された二つの良質米を交配すれば、最強ちゃうけ? 」みたいな、かなり知能指数が低い感じの結論に達した。

 あまり島根との関りが深くない「旭」「亀の尾」を栽培したのは、しかも酒造用によく使われていた種よりも、より原種に近い種を栽培したのは、このような理由にもよる。

 

 ただし、中生早の「亀の尾」に対して、「旭」は晩生であるから、人工交配を行うのは相当大変である。「亀の尾」の開花の時期に合わせて「旭」も開花するように調整しなければならないからだ。

 晩生の稲の出穂時期を早めるためには、日長の長さを人工的に操作してやる必要がある。具体的にいうと、「旭」の方には、日没の数時間前に大きな箱みたいなものを被せて日光をシャットアウトし、「日長が短くなったから、出穂せにゃならん」と勘違いさせる操作である(短日処理という)。

 短日処理のやり方は知識としてはあったが、実際にやることを考えるともう、大変なんてもんじゃない。どの程度の日長に調整するか、とかめっちゃ難しいし、そもそもジーンバンクから取り寄せた時点では、二つの品種の開花時期さえ定かではない状態だったから、非常に不確定要素が大きい。

 それぞれに日長条件を変えて、最低でも十株くらいは短日処理やっていかないと、ドンピシャで開花時期を合わせることなんてできないな、という事が分かってきて、日常の仕事との兼ね合いを考えると、そんなんとてもやってられんがな。「あ、これはアカンやつや」と思って、結局あきらめた。

 

 ただ開花時期を揃えて、受粉させるだけでもこれほど大変なのに、ここからさらに選抜を行ったり、しかも農家や酒造家のニーズにもこたえなければならないという、育種家って偉いなあ、と改めて感心した次第でした。

 

この品種については、平成三十年度に試験栽培を行った。品種特性はこちら