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この品種と雄町1号に関しては、種の注文が遅れたので他の品種と比べて、播種日で約一週間、定植日で三週間遅くなっている
五月十二日に浸種。
五月十七日に播種。気温が上がってきていたので、温床マットだと温度が上がりすぎるかな、と思ったので無加温で発芽させる。そのため発芽は遅れたが、発芽率は悪くなかった。
六月十九日に定植。苗の生育は弱い。定植できそうになるまでにかなりの期間を要したので、植えるのが遅れた。
定植約一月後。弱々しい。
八月二十日出穂。穂ぞろいはあまり良くない。
九月二十五日成熟、二十七日刈り取り。
青さが目立つ。
早生晩~中生早。本来であれば出穂期は八月上旬で、九月の中旬までには刈れるはずの品種だが、植え付け時期を外したために生育がずいぶん遅くなった。出穂から成熟までの積算温度は847度で、刈り取り時点で穂は色づいていたけれど、茎や葉はずいぶんまだ青い状態で、完全に登熟しきれなかったような印象を受けた。
茎数18本くらい。一穂粒数160粒くらい。草丈105センチくらい。穂長23センチくらいで、桿長82センチくらい。
茎数が少ないのは、定植が遅れたために分げつする期間を十分に取れなかったせいかもしれない。
茎がやや長めで柔らかく、それほど特別に風雨にあたったわけではないが、倒伏しそうになった。程度は亀の尾よりはましだったが、草丈が長い分弓なりに茎が曲がって、穂の先端が田面に突っ込むような光景も見られた。
亀の尾と同じくこの品種もひこばえが多く、登熟具合がまばらだった。
しかし、モミの外見は意外に良く、きれいで充実している観はある。
千粒重は26.4g、心白発現率は91%。
近所の食味計によると、水分17.4%、たんぱく質8.8%、アミロース値17.2%。
モミの外見は良いが、玄米は正直あまりキレイとは言えない。心白も流れがち。ただし、予想以上に大粒で心白発現率も高い。この品種のルーツである広島の八反草は、小粒で心白発現率があまり高くないそうなので、選抜の過程で特性が様変わりしたのかもしれない。
八反系の米は硬い、などとよく言われる。早生の品種だから、晩生の品種よりもたんぱく質が多く、アミロペクチン側鎖の長さが短いことが、その主な原因だろう。
この品種の場合、本来の出穂期が八月上~中旬くらいなので、佐香錦や八反錦などに比べると、消けやすいのではないか、と思うが、調べたわけではないのではっきりしたことはわからない。
八反錦(たぶん八反錦一号)との比較。
左が八反流二号、右が八反錦、その隣にいるのはリラックマ。
八反錦は酒米としてはやや小粒で、膨らんだ楕円形で丸みが強く、心白が大きい。
八反流はそれに比べるとやや縦長で大粒、しかしやや平べったい形状で、心白は八反錦よりは小さく、中心部から外れているのが多い。
直系の孫品種だから当然と言えば当然なのだけど、八反錦よりは佐香錦に近い品種のように思える。ざっくりいうと、やや小粒で、たんぱく質が多く、精米がやや困難で、心白が小さめの、栽培が格段に難しくなった佐香錦、という感じだろうか。
現代の品種と比較すると、やはりさまざまな欠点が目立つけれど、戦前戦後にわたって長く奨励品種とされていただけのことはあると思う。同時期の他の品種に比べると、ずいぶん酒米らしい姿をした米である。さらに、酒米としては珍しく早生(当時としては)、という特徴も含めて評価すると、島根県酒米品種のルーツの一つになったのも十分納得できる。
偉大なるパイオニアである。