孤独の発明

主に米作りとか酒造りについて

良い酒米って何だろう①

 良い酒米って何だろう    

 

 D・アダムスという作家が書いた「銀河ヒッチハイクガイド」というコメディSFがある。僕の中でこれは二十世紀最高のSF小説ということになっている。

 この作品の中で、とある惑星の知的生物たちが、全宇宙の全時代を通して二番目に高性能なコンピューターを建造する。目的は「生命、宇宙、そして万物についての究極の疑問の答え」を知るためだ。

 無事完成し「ディープ・ソート」と名づけられたコンピューターは、七百五十万年の時間をかけて「生命、宇宙、そして万物についての究極の疑問の答え」を計算した。

 その答えは「42」だった。

 「生命、宇宙、そして万物についての究極の疑問の答え」=「42」 などという意味不明な答えに、コンピューターを設計した知的生物たちは当然怒り狂ったが、コンピューターは答えがこれで正しいことを主張して譲らない。逆に、その知的生物たちに対して質問を返す。

 「生命、宇宙、そして万物についての究極の疑問って、具体的にはどういう疑問なんですか? 」

 知的生物たちは答えに窮する。実はそこまで深いことは考えていなかったからだ。もともと、「コンピューターがうまく答えを出してくれたら、今後は厄介な問題に頭を悩まされずに済み、スポーツ観戦とか週末のパーティーみたいなもっと有意義な活動に時間が使えるはずだ」くらいの軽い気持ちだったのだから。

 「答えが「42」であることは間違いないが、それは具体的にどのような問いに対しての答えなのか、という事まではわからない。それを計算するには能力があまりにも不足しているからだ。『究極の答え』に対応する、『究極の問い』を計算できるのは、私以上の性能を持つ、宇宙で一番高性能なコンピューターでなければ不可能だ」とディープ・ソートは言った。

 宇宙で一番高性能なコンピューターは、実はまだこの時この宇宙には存在していなかった。

 「究極の問い」を計算するべく生み出されるそれは、現時点で宇宙最強のコンピューターであるディープ・ソート自身によって、これから設計されるという、空前絶後のコンピューターだった……

 

 「究極の答え」「究極の問い」うんぬんはさておき、答えをだすこと自体は比較的簡単だけど、そもそもの問いの意味を定義することが非常に難しい、という問題は世の中にたくさんあると思う。

 少し話は変わるが、例えば「良い酒米ってどんなもの? 」という質問も、そのたぐいだろう。

 その問いに対しての答えは、日本酒の作り手ならみんなそれぞれに持っているものだとおもう。蔵に入ってきた酒米を見て、その米で酒を造ってみれば、「ああ、これはよい酒米だな」とか「あん畜生、ろくでもねえ米よこしやがって! 」などと、皆さん米の良し悪しを割と容易に判別しているのではないだろうか。

 でも、「じゃあ、良い酒米って、具体的にいうとどんなのよ? 」と聞かれると、その定義を言葉で説明するのはなかなか難しい。

 難しい理由の一つには、米の個性をどう評価するか、という問題があるだろう。

 教科書などに記載されている酒米の条件としては「大粒であること」「心白発現率が高いこと」「消化性が良いこと」「たんぱく質が低いこと」などが挙げられている。

 これらは「確かにおっしゃる通りなのですが」と言いたくなるような、否定のしにくい条件ではある。だが、これを満たすものは優秀な酒米で、満たさないものは劣っている、と言い切ってしまってよいものだろうか。

 個人的な体験ではあるが、一般的に酒米に向かないとされるコシヒカリを使った、すばらしい酒に出会ったことがある。明治時代などに栽培されていた古い品種を復活させた復古品種は、いわゆる醸造適性と呼ばれる部分に関してなら現代の品種に劣ることが多いはずだが、なかなかどうして、魅力的な酒になっているものも多い。

 こういうタイプの酒を造るためには、こういう米が向く。あるいは逆に、こういう米ならば、こういうタイプの酒を造りやすい、という関係性は確かにある。しかし、酒米が酒に与える影響は、ブドウがワインに与えるほど大きなものではない。作ろうと思えば、よほどひどい米でもない限り、大体どのような酒をも作れてしまう。そのうえ、利き酒によってその酒がどのような米で作られているかを判別することは、非常に困難(醸造研究所の研究で、一応できるようにはなったそうだが、人間の舌ではたぶん無理)だという事が、問題をさらにややこしくしている。

 結局のところ、酒米は酒の原料なので、定義の上では「良い酒米とは、それを使えば良い酒ができる米」ということに違いはない。

 だがその「良い酒」とは何だろう、などということも、議論し始めるとなかなか厄介な話で……この問題を話し合う前には、防弾ジャケットとヘルメットくらいは装備してから挑みたいところである。武器も使わせてもらえるなら、なおありがたい。 

 ある意味でこれは、美人の定義に似ている。「佐々木希は美人だ」と多くの人が認めるだろうが、じゃあ「美人とは、佐々木希に似ている人のことだ」と定義すると、困ったことになる。佐々木希に似ている人はたいてい美人だろうから問題ないとしても、定義上石原さとみは不細工だという事になってしまうので、石原さとみのファンが怒ると思う。そして、佐々木希にも石原さとみにも似てないブルゾンちえみはどうなるんだ、という話である。

 悲しいことに、兵庫県東条産特上山田錦の姿を、僕は見たことはないし触ったこともない。だが、一般論としては、この米が酒米として最上級とされているはずだ。では、兵庫県東条産特上の山田錦に似ているほど良い酒米なのか、というと必ずしもそうとは言えないと思う(兵庫県東条産特上の山田錦に似ている米が、良い酒米であることには間違いないだろうが)。

 「良い酒米ってなんだ」という問いの中に、人間の主観に左右される部分が入っているのなら、絶対的な評価基準で判断することは不可能だ。良し悪しの基準は定量化できるものではなく、多数決で決めるにしても、論理的に「少数派は間違っている」とは言えない事柄だから、誰にとっても納得できる結論はあり得ない。

 小説家の阿佐田哲也は「欠陥からせつなくあふれ出るのがパーソナリティ(個性)だ」と言った。なんか良い言葉だと思うから、たぶん正しいんだろう。

 個性が欠陥から生まれるものならば、突き詰めて考えると、結局米の良し悪しは好みによるよね、という話で終わってしまう。だが終わってしまうと議論としては面白くないので、個性の話はとりあえずいったん置いといて、ここから先はいわゆる醸造適性とはなにか、という問題に絞って話を進めていきたい。

 (②に続く)