「幸玉」
来歴
「幸玉」は「改良雄町」のさらなる短稈早生化を狙った品種である。「改良雄町」の配布開始から七年後の、昭和四十二年(1967年)から配布が始まった。
「幸玉」は「改良雄町」に「巴まさり」という米を掛けて作られた。
「巴まさり」は北海道の米で、当時北海道で栽培米されていた米としては品質は良いとされていたらしい。感光性を全く失っている純感温性のため、早生化のための交配親には適している、と考えられたのかもしれない。
出穂期が七月下旬と早く、稈長も80センチ程度の穂数型品種。いくつかの病害には弱かったらしいが、収量が多く耐冷性もそこそこあった模様。開発された頃の島根県では、他の奨励品種が「改良雄町」と「改良八反流」であったことを考えると、当時としてはかなり栽培しやすい品種だったんだろうな、と思う。
千粒重は26~29グラム程度で大粒。昔読んだ資料には、心白は大きいが、やや中心から流れて腹白になりやすい、という記述がある。米質は硬かったという。
「改良雄町」の子供だから、極早生品種にしては軟質の米なのではないかな、と勝手に想像していたが、調べた限りでは硬く溶けにくい米だったようだ。やはり、極早生の品種は登熟気温が高くなるから、消化性が悪くなるのは仕方ないのだろう。考えてみれば、「五百万石」だって片親は「菊水(中支旭と雄町の交配種)」だから、「幸玉」と同じく四分の一は「雄町」の血を引いているわけだし。
心白が大きく、しばしば流れるため、精米の際の割れが多く、そのために酒造家には嫌われたという。しかし、昔の全国鑑評会への出品酒の記録を読んでいた時、たしか「幸玉」を使った大吟醸酒が出品されている例を確認した記憶があるのだが……本当に50パーセント以上とかまで削れる米だったのだろうか?
作期が同じくらいで、栽培しやすく収量は同等以上、品質も「幸玉」以上の、「五百万石」という大型品種が昭和五十一年から導入されたため、以降「幸玉」の栽培面積は漸減し、平成十三年にはついに奨励品種登録を取り消された。今となっては種もみの生産すらされていない品種である。当然、この品種を用いて酒造りを行っている蔵も存在しない。
二十年前ぐらいまでは使われていた品種なので、「昔この品種を使ったことがあるよ」というベテランもいらっしゃるかもしれない。機会があれば「幸玉」とは実際にはどんな米だったのかを聞いてみたいところ。
この品種に関しては、平成三十年度に栽培試験を行った。品種特性はこちら。