孤独の発明

主に米作りとか酒造りについて

亀治

「亀治」

 来歴

 亀治の来歴に関しては二つの説がある。

 一つは、松江藩の蔵番の家に生まれた広田亀治が明治三年に「縮張」という晩生品種から選抜を行い、明治八年に品種として成立するようになった、という説。亀治の職業から「蔵本」と呼ばれたり、脱粒の少なさから「散無し」とか、「日の出」という別名でも呼ばれていたらしい(これは旭の親品種である「日の出」とは関係ない)。

 別説には、亀治は慶応二年(1866年)に百姓一揆に加わった首謀者とみなされたために、現在の出雲市知井宮町に追放されたという。この土地は当時稲作技術が進んでいたので、罪が許されて帰郷する時に、亀治はその辺に生えてあったよさげな中生の稲の稲穂を持って帰って、それを増やして品種として固定したのが「亀治」だという。

 「亀治」は日照不足や冷たい水がかかる田などの悪条件でも比較的よく生育し、不作豊作がおこりにくい安定した収量の得られる品種であったという。いもち病に対する抵抗性を持つことでも知られ、最盛期には全国で6万ヘクタールもの面積で栽培されていた。

 亀治の地元である安来市荒島には亀治の功績を顕彰する記念碑と銅像があり、今でもそでなしの作業着を着て、鍬を持って立っている亀治の姿を見ることができるそうだ。

 彼を讃えた歌もある。

 「変わる浮世にそでなし姿、だてに亀治は鍬持たぬ」。

 

 奨励品種制度が整った明治後期には既に酒造用米として登録されており、純系選抜によって生まれた「亀治1号」「亀治2号」も含めると、明治年間から昭和34年に至るまで栽培され続けた長命品種だった。

 ジーンバンクにある、「亀治」のデータを見ると、稈長は一メートルを超える背の高い穂重型で、出穂期は八月二十日以降の今の基準から言えば中晩生種。千粒重は二十二グラム程度と酒米にしてはやや小粒で、心白発現率はあまり高くないらしい。アミロース値が二十パーセント以上あるので、米のさばけは良かったのではないだろうか。

 「亀の尾」を生み出した阿部亀治とたまたま同名であるために(亀の尾を用いたその名も「亀治」という酒があったりする)、「亀治」と「亀の尾」は混同され勘違いされることの多い米だと思う。僕も、「亀治」という名前を初めて見たときは、亀の尾の変種か交配種なのだろう、と思ったが、まったく何の関係もない品種である。

 ネットで検索していたら「安来市で地元の酒販店「平井豊商店」が中心となり、地酒として商品化された」という記事や、「島根県立大学の学生が亀治を復活させ栽培していて、その米を山口県の澄川酒造に送って酒にしてもらっている」などという記事が見つかったが、現在の状況は不明である。詳しいこと知っている人がいたら、誰か教えてください。

 この品種については、平成三十年度に試験栽培を行った。品種特性はこちら